新潟のむかし話2「猿むこさ」の末娘には感心させられる。
田なぼに水をかけてもらったから、じさまは娘を猿の嫁にやらなければならなくなった。
一番上の姉娘、2番目の娘が猿の嫁になるのは嫌だと断ると、あとは末娘。
末娘は
「じさま、心配するな。おらが嫁に行ってやっから。」
と即答する。ここがえらさ、その1。 末娘は、おねえちゃんたちはずるい、自分が貧乏くじを引くのは嫌だとか言って、じゃめたりはしない。わたしなら、3人のうちの誰かが行かなければならないなら、じゃんけんで決めようなどと言いそうなところだが、末娘はそんなことは言わなかった。嫌々引き受けたふうではない。困っているじさまを助けたい気持ち、嫌がる姉たちをかばう気持ちからなのだろう。やさしさと勇気を感じる。
末娘は、家や田畑やじさまや姉たちを守るために、自分を犠牲にしたのか?いいえ、そうではない。少しも自分を犠牲にしなかった。ここがえらさ、その2。少しも自分を傷つけることなく、3日めに実家に帰ってきたのだ。
末娘は、猿を殺害したか?いいえ、そうではない。自らの手を汚すことなく、猿が木から川へ落ちるように誘導したのだ。ここが最大のえらさ、その3。こうありたいものだ。
わたしたちは、たいていじゃまだと思う人がいる。この人さえいなければ、うまくいくのにと思うことがある。時には激情に駆られて暴力や殺人にいたる人も、広いこの世にはいるだろう。行為にまではいたらずとも、心の奥深く呪い続けたり・・
しかし、末娘は、わが身を不運と呪うこともなく、すぐに作戦を巡らせた。平和的な話し合いでおのずと事が進むように図っている。むしろ、猿は進んで末娘の気持ちにそって行動しようとするのだ。そういうふうに話かけるなんて、末娘はなんて心やさしい知恵者なのだろう。悪だくみという印象を与えない。
さらに、えらさ、その4は、末娘がちっとも後悔していないことである。
猿は猿ではあるが、それほどのワルではなかった。田なぼに水をかけた礼に娘をやると約束したのは、じさまである。猿とかわいい娘だけを考えると、不釣り合いなカップルだろうが、日照りが続き、このままでは米が一粒もとれのうなってしまう状態であり、一家の命がかかっていたのである。じさまが娘の一人を差し出そうとすることは、飢饉の村では不思議でもなかっただろう。
猿は末娘に気に入られようとする一生懸命な純な若猿だったのに、その命を結果的になきものとして、末娘の心はうずかなかったのか?うずかなかったらしい。心の強さだ。
末娘は、細かい話は省略して、たまたま偶然のように、または、あたかも自然現象のように
猿が川に落ちて、流れて死んでしもうた
とじさまに報告して、じさまを安心させた。これは末娘のじさまに対する思いやりかもしれない。親は、子に罪を犯させたと思いたくはないだろうから。末娘は清らかなまま、じさまの元に帰ってきた。
末娘は、自分と自分の家族が生きのびるために、最適な行動をしてきたようだ。
末娘の知恵と勇気に脱帽。
直接、過激な手段を用いることなく、穏やかに物事を思う方向に持っていくやり方を、わたしも身につけたいと思ったことだ。
末娘のかわいらしさからは思いがけないほどの、ちょっとこわいほどの知恵と勇気。
だから、このお話は、こわくてふるえる話なのかもね。
悠久城風の間 http://yuukyuujyou.starfree.jp/
Works 旅の声 2020年 6月 13日収録
新潟のむかし話2「猿むこさ」