悠久城風の間 blog語り部のささやき

悠久城風の間の語り部 楯よう子のささやき

おはぎが食べたい

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新潟のむかし話2の「大蛇の目」の嫁。

かわいそうで涙が出そう。なんで嫁(あねさ)は、目のない大蛇になったのか。

嫁は、おはぎを食べたいだけだったのに。

わたしも、おはぎが食べたい。おはぎが好物だ。こっそり食べれば、うまさ100倍?

十三夜の日、おじが遊びにきたので、兄は「今朝、おはぎしたねか。おじにもくわせれや」と言ったのだが、嫁は「おはぎは、へぇねくなった。」と言って、おじが帰ってからひとりで食べようとした。

このことについて、むかし話2のなかでは、「けちな嫁は、おじに食わせたくねえすけ」と評している。

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確かにけちだと人にものをやりたくないだろう。しかし、この場合の嫁。おはぎがものすごく食べたかったのだと思う。なにしろ乳飲み子を抱えていたのだから。とにかくお腹がすく。授乳期は二人分食べろと昔はよく言われていた気がする。

しかも、おはぎ。嫁はみんなこれが大好き。おじも甘いものが好きかもしれないが、嫁の大好きさ加減とその必要度は、おじのそれをはるかに上回っている。おじは「おら、だんなさまのとこでいっぱいもらって食っているすけ、いらねえ。」と別にやせ我慢しているわけでもなさそうだった。兄はおじを思いやって言ってくれたが、どうしてもおじに食べさせなければいけないというほどではなかったのだ。

それなのに、嫁がおはぎを食べようとお鉢のふたを開けて見ると、おはぎには毛がモクモクと生えていて食べられない。

えっ!朝、作ったのに、もうカビが生えたの?

掲載写真のおはぎは近くのスーパーで買ってきたもの。(昔ながらのもっと大きくてつぶつぶあずきのたっぷりかかったおはぎを手作りしたかったが、なにしろワンオペでやっているので、朝おはぎ作りを始めると、深夜になっても収録が終わらなそうで、出来合いを利用・・)お彼岸でなくても年中あちこちで売っている。ちなみに1個120円。(110円のお店もあるがそこはちょっと遠い。)ありがたい。今は梅雨時だが、日持ちは翌日の24時となっていた。ふつうは常温で次の日もおいしく食べられるはずなのに・・?

嫁はおはぎを池に捨てに行くが、自分が池に落ちてしまった。無念だ。乳飲み子がいなければ、おじにおはぎを分けてやることは無理なくできただろう。乳飲み子のいる身であるので、どうしてもおはぎが食べたかった。それなのに、池に落ちて子に乳がやれなくなってしまった。嫁も、嫁をなくした兄も困った。

嫁は池に落ちても、子への思いを、その生命力を大蛇に変えて、蛇の目を二つとも差し出して子の乳代にするのであった。

「そしゃ、仕方がねえ。赤子のためにもう一つ目をやっか。ほうしると、おらは目が見えなくなってしまう。朝がただか、晩がただかわからねえすけ、この目を売って、銭がいっぱい余ったら、釣り鐘を買ってくれ。ほうして、お寺にあげて、朝晩、釣り鐘をついてもらうように頼んでくれや。」

 

越後の昔話名人選 高橋ハナむかしばなしの「大蛇の目」でもほぼ同様の話が語られている。ここでは、嫁のことを「けち」とか「気が短い」とは語っていない。嫁のことばとして「ばちが当たってしまった」はない。そして最後は

「かかも喜んで朝晩、釣鐘の音を聞いて、暮らしていたと。いきがさけた。」

と、民話らしく、あっさり明るく終わっていた。

 

新潟県学校図書館協議会編(2006年)新潟のむかし話2「大蛇の目」においては、最後に嫁は喜ぶどころか、

嫁は、なみだを流す目もなくなってしまっていたども、なみだが、次から次へとあふれ出したと。「おらが、みんな悪かったんだ。」と小さな声でいったと。

 それからというもの、嫁は、もう二度と人の姿にはもどることがなかったと。お寺の釣り鐘の音を聞くたびに、朝がただか晩がただかわかったども、赤子のことを思うたびに、なみだを流していたと。

イチャポンとさげた。

となっており、嫁の後悔と母親としての悲しさをより深く表すものとなっている。

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わたしは、泣いている嫁に、「あねさはそんなに悪くないよ」と言ってあげたい。

ばちが当たったって思わなくてもいいよ。だって、おはぎをたくさん、食べたいのは当然だよ。母親ならみんなそうよ。あたりまえだよ。

池に落ちてしまって、子育てできなくなっても、あねさは大蛇に身を変えて、子の健康を祈っていてくれる。あねさの生命力が大蛇になったんだね。あねさの祈りがあるから、赤子はすくすく元気に育つよ。

 

民話はそんなに人を責めたりしないで、できごとを柔らかく包み込んで語る。

民話のよさはそのおおらかさにあるようだと、とうに若い母親でもないわたしは、おはぎを腹いっぱい食べながら思ったりする。

 

令和2年文月 地球は変わりつつあると感じながら

 

影絵 悠久城切り絵師 酒井晃氏の作品

 

悠久城風の間   http://yuukyuujyou.starfree.jp/

Works 旅の声 2020年 7月 11日収録 

新潟のむかし話2「大蛇の目」

かわいそうでなみだがでそうな話 新潟県学校図書館協議会編2006年

https://www.youtube.com/watch?v=kgjni8Zluho&t=1s