嵐にあって木のほら穴に逃げ込んだ木こりは、眠り込んでしまって、夢を見たのだろう。
夢を見ている時は、自分が夢をみているのかどうかわからない。
常日頃かわいい娘と出会えないものかと思っていたから、かわいい娘が現れる。かわいい娘を嫁にできないかと思っていたから、娘のほうから婿になってくれという。二つ返事で婿になった。仲のよい二人の暮らし。なんと心地よいのだろう。ここはどこだろう。裏戸前には倉が12あるという。導かれるように倉を巡る。
1番目の倉。緑のきれいなお祝いのマツ。2番目の倉。色鮮やかなウメ。3番目はサクラ・・4番目はボタンの花・・
どの倉をのぞいても、月ごとのきれいな花がいっぱい咲いている。木こりはただただ感心して、花々の美しさに酔いしれてしまう。
花倉を巡るこのときが、ずっと続いてほしい。いつまでも花倉を見ていたい。
いつまでもいつまでも花倉を巡って花々をめでていたい・・
でも、そんなことできないよね、そんなはずないよね、と、ふと木こりは目覚める。
あれ?
ここはどこだろう?
おれは何をしていたのだっただろう。おれはだれだろう。
おれはどこに行けばいいのだろう。ここにとどまればいいのか?
まだ夢の世界にいたい。花倉は?
目覚めなければならないのか?
To be, or not to be: that is the question:
夢と現実のはざまで、木こりは自らに問いかける。
新潟のむかし話に越後弁でなく、突然、英語表記がでてくるのは不自然だが、この問いが万国共通の人のものであるらしいので書いてみた。
坪内逍遥の日本語訳では「世にある、世にあらぬ、それが疑問ぢゃ」
実のところ、人生がどこまで夢なのか、現実なのか、わたしは、しばしばわからなくなるのだった。
令和2年皐月 きらきらまぶしい日差しに目を細めた日・・
令和からの紙芝居と語り 悠久城風の間ホームぺージ
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Works 旅の声 http://yuukyuujyou.starfree.jp/works.html
2020年5月16日収録 新潟のむかし話「見るなの花倉」
https://www.youtube.com/watch?v=E2JMkQsGkWM