悠久城風の間 blog語り部のささやき

悠久城風の間の語り部 楯よう子のささやき

宝の小槌

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福の神の持ち物である、打ち出の小槌。願い事をしてこれを振ると、金銀財宝や思い通りの物が出て、長者になったり、一寸法師の背が伸びたりするのである。

だから打ち出の小槌は、富の象徴であり、福を招く宝物である。

新潟のむかし話2「犬と猫と宝槌」のじじさは、福の神に祈ったわけではないが、カメを助けた後、槌が枕元におかれ、それから、槌を振らなくても、朝げになると、小判が1枚ずつ上がるようになったのである。めでたし。めでたしであるが、それで終わらずに、じじさとばばさは、その後も生き続けたのである。そうすると、長者となったじじさを妬む者が現れる。じじさは宝槌を奪われてしまうが、かわいがっていた犬と猫、それからネズミや助けられたカメも協力して、またこの宝槌を取り戻し、今度こそ本当に楽に、皆で仲良く暮らせるようになったというお話。

これで本当にめでたしとなる。

富が舞い込むことは、庶民の夢だったのだろう。

じじさとばばさが、最後にはしあわせに暮らせるようになったという話は、わたしたちを安心させる。

むかし話はこうであったらいいなあという夢を描いていたのだろうが、現代に生きるわれわれには、これは夢ではなく、割とふつうに保障されたものとなってきている。

一生懸命に働いて、一息つくと、年金受給となる。毎朝小判1枚ずつではないが、黙っていても2ヶ月に1回、一定額が銀行口座に振り込まれてくる。それで、結構ハッピーである。ところがこの地方では、小金を貯めるのが上手な人がいて、人がいいのか、オレオレ詐欺にあうことが多いという。それでも、途中、金が足りなくなったり、体が不自由になったりしても、いろんな支援の手が差し伸べられて、そこそこ安楽な暮らしが送れるようだ。よくできた社会システムだ。ありがたや、ありがたや。

ところで、むかし話で、じじさがカメから宝槌をもらったのは、特別な祈祷などによってではなく、その前にじじさがカメを助けたからだ。同じように、わたしたちが年金を受け取ることができるのは、あらかじめ、それまで長年コツコツ、それなりの金を納めてきたからだ。

奪われた槌を犬と猫が奪い返そうと働いてくれたのは、じじさとばばさがそれまで犬と猫をかわいがって飼っていたからだ。同じく、わたしたちが(または、先人たちが)これまで長年かけて福祉の制度を整えてたので、年をとって助けが必要となったときに、ケアマネやヘルパーが来てくれるのである。

今は、むかし話に描かれた夢の生活が、多くの庶民にもそこそこ実現しているのである。

昔の人達があこがれた生活を、われわれも求めてそれなりに努力して制度を作り上げてきた成果である。

そう思って、わたしはこの「犬と猫と宝槌」を読んで満足感を覚える。

宝の槌は小さい槌だが、みなに配られている。

災害やウイルスの大群が来ても、この小槌の持続性を揺るがせてはならない。

わたしはときどき、自分の小槌を磨いたりしている。

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令和2年水無月 もう真夏かという日

 

悠久城風の間   http://yuukyuujyou.starfree.jp/

Works 旅の声 2020年 6月 7日収録 

新潟のむかし話2「犬と猫と宝槌」

心をうたれてじーんとする話 新潟県学校図書館協議会編

https://www.youtube.com/watch?v=jEUHOT1MmuY