悠久城風の間 blog語り部のささやき

悠久城風の間の語り部 楯よう子のささやき

杉の木の気持ち

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新潟のむかし話2の「鏡杉」の態度はりっぱだ。

この地では、昔から杉は育たないと言い伝えられていたのではなかったか?

あにはからんや、冬の強い風にもめげず、杉は大きく育った。

何百年も生きた。大木となり、しかも村人の気持ちがわかるのだった。暗い海で方向を見失った漁師に航路を示して光まで発するのだった。村の守り神として大切にされた。

そして、田んぼに水を引くために切り倒さねばならなくなった。仲間の木の精たちが心配して集まる中、鏡杉は平然と言う。

「おら何百年も生きて、人の役にたって死ぬのだから、思い残すことはなーんにもないわね。」と。

恨みも、悔しさも、苦しみも、悲しみもない。

さすがに大杉。心が広い。利己的な人間にはおよびもつかない。

どうしたらこんな広い心が持てるのだろう。

杉だからか?木だからか?木の精のため?気のせい?

そう、木は大気の中で生きていたのだもの。われわれ人間とは違うかも。

大気の中に枝葉を伸ばして二酸化炭素を取り入れ、それから地中深く根を張り水を吸い上げ、太陽の光を浴びて自らの葉っぱの上でエネルギーを作り出してきていたのだもの。

日々の飢渇に苦しみ、右往左往するわれわれ人間とは違っている。われわれは毎日食物を求めて動き回り、得たものをなんとか口に運ぶ。狩りをするにしろ農耕をするにしろ、一人ではできず、いつも仲間と連れ立たなければ行えず、だから人間関係はいつもわれわれを悩ませる。

鏡杉が泰然自若としていられるのは、人間のように常に誰かに頼って生きてはいないからなのかも。

そして、村人への思いやり。鏡杉は大気の中に大きく枝葉を伸ばして、村全体をも包み込んでいるようだ。鏡杉は村とともに生き、村人はもやは、鏡杉の一部ででもあるような・・。鏡杉の、万物との一体感を感じさせる。

鏡杉はたとえ自分が倒されても、それで村人が生きられたら、村人の中で自分の生命も生かされるように感じていただろうか。

そして、また、いつしか地に落ちた鏡杉の種は芽を吹き、枝を伸ばし、大杉となるのだ。

鏡杉の生命は受け継がれていく。

木は自らエネルギーを作り出し、力を持つものだ。

わたしたちは、木から酸素を受け取り、さらに、緑にこころを癒され、力づけられる。

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令和2年水無月 日蝕が近づいているという日

悠久城風の間   http://yuukyuujyou.starfree.jp/

Works 旅の声 2020年 6月 20日収録 

新潟のむかし話2「鏡杉」

ふしぎさにひきこまれる話 新潟県学校図書館協議会編

https://www.youtube.com/watch?v=nEsFTA29LnQ