新潟のむかし話2の「兎とフッケロのとびっくら」のフッケロ。
なかなかの好人物(好カエル)だ。こんな人になれたらと思う。
① まだ、ねむったいところを起こされても怒らない。
② 兎が勝手な約束を決めて勝負を仕掛けるが、自分は勝てないと思っても走り出す。
③ 兎のよだれに同情して、自分のぼた餅を分けてあげた。それも3つも。
① については、もう春になっていたのだから、起きていい時間だったということはある。何回声掛けしても起きないから、兎は棒きれでフッケロをつっついた。この過激な兎の目覚ましあおり行動にも関わらず、
「人が気持ちよくねぶってるのに・・」
とは、いうものの、目覚めたフッケロはそんなに怒っているふうではない。
なかなか朝、起きてこない息子を起こそうとする母親なら、フッケロがうらやましくなるだろう。息子を棒きれでこちょばすにはかなりの勇気が必要だったりする。目覚めた息子に、暴れられては困るから。
② 「おらは逆立ちしてがんばったって、あっげに足の速い兎どんのとびっけらになんか勝てっこねえ。でもまあ、がんばれるだけがんばってとんでみよう。」
兎の足の速さには勝てっこないとわかっていながら、兎に言われたから、自分ががんばれるだけがんばってみようという。なんて素直なのだろう。
勝てない試合には出ないとか、だいたい兎が勝手なこと言っているのだからと文句を言おうとか思わない。言われたことは、できるできないはともかくとして、最善を尽くそうという態度である。
もっとも、餅やぼた餅で最初に方向づけられてしまっていたということはあったが。
③ ぼた餅は甘くておいしくて、大好き。いくらでも食べられる。でも兎も欲しがっているから、兎にもわけてあげよう。それが自然にできる。ちょっとだけ分けてあげるのではなく、左のほっぺ、右のほっぺ、のどと、兎が満足できるまで、三つもあげている。
フッケロの優しさに、兎も自分が意地悪だったことを反省してしまうほどだった。
さて、ではどうしたら、このような穏やかで、素直で、優しいフッケロになれるのか?
フッケロの住んでいるところは信濃川のむこう岸の山のてっぺんである。わたしの住んでいるところは信濃川の近くであるが、山のてっぺんではない。
フッケロは、さぶくなると土の穴ん中へもぐりこんで、じっと冬ごもりして春を待つ。
わたしにはそうした冬眠の習慣はない。
兎もそうだけれど、年がら年中、とんで歩いていたら、意地悪になるのも無理はないか?
今後は、わたしも一年の半分くらいは寝て過ごすことを考えようと思う。
令和2年水無月 信濃川の流れは、雨か兎のよだれか、見極めようと佇んだ日
影絵 悠久城切り絵師の作
悠久城風の間 http://yuukyuujyou.starfree.jp/
Works 旅の声 2020年 6月 29日収録
新潟のむかし話2「兎とフッケロのとびっくら」