穏やかで平和な毎日が続くこと。それを願うのは、あなたが、心穏やかでなく、争いやわざわいの多い日々をかかえているということかしら。
穏やかな日が急に奪われるのは困るわ。ただ、そのために、わたしは小太郎を授かったのだった・・・母であるわたしには母になる物語がありました・・・
・・・
新潟のむかし話2「天人女房」を読んだ人々は、みな、口々に言うのだった。
「たいていの羽衣伝説だと、天人が羽衣を着て空に昇っていって、それでおしまいだけど、この新潟のむかし話では、そのあと、子どもとじさまがユウガオのつるを登って天人のところに行くのね。ジャックと豆の木みたいじゃない?」
「天人は、じさまが天に昇ってきたことを、本当はどう思ったのかしら?」
「三人とも大水に流されたんでしょ。結局、それでどこに行ったの?・・」
そこで、私は、天人女房のかかさに取材を試みた。以下は、天人かかさ、かっかーの陳述である。
わらわは天人女房と呼ばれておるのお。じゃがの、女房になりたくてなったのではないのじゃ。じさまに、たぶらかされたのじゃ。
てんじゅく国で、なんのわずらいもなく、暮らしておったのじゃ。てんじゅく国では、年もとらないし、病気にもならないし、争いもないのじゃった。あんまり退屈な日が続くと、遠くの国にちょっと遊びに出かけたくなるものじゃ。それでてんじゅく国のおなごしょと越後の国に遊びに出かけた。羽衣を着ればどこにでも行けるのじゃ。ところがじさまが、水あびをしているおなごしょを見て、わらわのことが、一番気に入って、わらわの羽衣を隠したのじゃ。わらわはてんじゅく国に帰れなくなって、じさまの女房にされたのじゃ。
てんじゅく国では誰でも年をとらないが、越後の国では年をとるのじゃ。早く帰らなければならぬのじゃ。じゃが、羽衣がなければ帰ることはかなわぬ。
そのうちに小太郎が生まれた。そしてある時、小太郎が羽衣のありかを教えてくれた。なな、なんと、じさまが裏の竹林に隠しておったのじゃった。
「ええーい!くそじじいめ。よくも、わらわをだまくらかしてくれたな。よし、この羽衣があれば、これで、わらわは、てんじゅく国に帰れる。」
そしたら、
「かっかー、かっか―。」
小太郎が泣き出した。そうだ。小太郎がいた。小太郎をおぶっていては、羽衣があっても天には昇れぬ。わらわは、小太郎によく言い聞かせて、ユウガオの種を与えた。わらわは、先にてんじゅく国に行って、小太郎がユウガオのつるを登ってきたら、引き上げてやろうぞ。
わらわは、一人、てんじゅく国に昇った。毎日、きょう来るか、明日は来るかと待って、待って、ある日、ようやく、小太郎の声が聞こえた。
「かっかー、かっかー。小太郎が来た。」
「おうおう、小太郎。よう来た、よう来た。さあ、これにつかまって。」
わらわは、じょうぶな浅黄(あさぎ)の手ぬぐいをたらして、小太郎をひっぱりあげた。
小太郎はスルスルと上がってきて、
「かっかー、かっかー。」
と、わらわに飛びついた。
「よしよし。小太郎、ようやく会えた。よかった、よかった。」
これで、小太郎と暮らせる。かわいい小太郎といっしょに、いつまでも年をとらないで、病気にもならずに、心配事もなく、楽しく暮らせる・・・と思って、胸がいっぱいになった。
そのとき、また声がした。
「おーい、小太郎、小太郎。じいが来た。」
な、なんと、じさまの声じゃ。じさまが来るとは・・。わらわは驚いた。じさまがあのユウガオのつるを登って来るとは・・。
「おお、じさま、よう来た。よう来た。さあ、これにつかまって。」
小太郎は、無邪気に喜んで、さっきのじょうぶな浅黄の手ぬぐいをじさまにたらした。わらわは慌てたが、遅かった。
じさまは、スルスルと上がって来た。
「おお、おお、てんじゅく国はいいところじゃ。三人でここで暮らそうぞ。」
じさまは、にこにこと大喜びじゃった。
わらわは、じさままで来るとは思わなんだ。
てんじゅく国は、善人ばかりが住むところなのじゃ。うそをついたり、人をだまくらかす者の、来るところではないのじゃ。
小太郎は、かわいいわが子。いとけない子どもゆえ、大殿様もお許しになるじゃろう。じゃが、じさまは、わらわの羽衣を隠したのじゃ。わらわをたぶらかして、自分の女房にしたのじゃ。大殿様が許されるはずもないのじゃった。
じさまがてんじゅく国に上がったことがわかれば、わらわもお咎めを受けることになるじゃろう。
大殿様に知れる前に、じさまには帰ってもらわねばならない。
そうだ。じさまは虫が嫌いじゃった。
わらわは、じさまを花畑につれて行った。
「ささ、じさま、てんじゅく国の花園じゃ。てんじゅくの酒じゃ、酒じゃ、飲まっしゃれ。」
「花園で酒盛りとは。てんじゅく国は、いいところじゃのう。」
じさまのまわりに、チョウやトンボが飛び回った。
じさまは上機嫌じゃった。わらわは、じさまのからだに花の蜜を塗り付けた。
「じさま、てんじゅく国は平和な国。ここでは、一匹の虫も殺してはなりませぬぞ。」
「おお、おお。花はきれいじゃ。酒もうまい。うまい酒じゃ。ううーい。」
じさまは酔っぱらってきた。そして、じさまのまわりに、ハチや蚊やハエや虻も集まってきた。
「てんじゅく国は虫が多いのう。」
じさまは、あきれたように言った。
「じさま、てんじゅく国では虫とも仲よう暮らさねばなりませぬ。」
「こんなに虫が多くてはのう。」
じさまがぼやいても、ハチや蚊やハエや虻はかまわず、じさまのからだのまわりを飛び回った。そして、じさまの吐き出す息に、ますます、ハチや蚊やハエや虻は、増えて、じさまに群がった。じさまはそれを手で振り払おうとした。
「そんなになさるなら、越後に帰られませ。」
地面からアリゴの群れが、じさまのからだを這い上がっていた。
「じさま、てんじゅく国では虫をつぶしたりしてはなりませぬのじゃ。」
じさまはそれには答えず、じっと宙を見つめていた。そして、少し腰を浮かした。じさまは、虫の多さに懲りて越後に帰ろうとした・・・と思ったが、そうじゃなかった。
じさまは、いきなり顔の前で両の手をパチンと打った。目の前を飛ぶ一匹の蚊を、両手でたたきつぶしたのじゃ。
「じさま、てんじゅく国では虫も殺してはならぬのじゃ。」
わらわは、あわてて叫んだ。じゃが、もう、言っても遅かった。虫が殺されたことは、たちどころにてんじゅく国の大殿様に知れてしまった。
大殿様は怒った。いきなり大水を出した。ドンドン、ドンドンと大水が来た。じさまと小太郎とわらわの3人は、てんじゅく国から流され、流され、気がついたら、越後のじさまの家の前じゃった。
わらわは羽衣を着てはいなかった。羽衣は大水で流された。ユウガオの種も持っていなかった。種も大水で流された。てんじゅくのものはすべて水に流されて見えなくなっていた。じさまの家の前に流れ着いたのは、わらわのからだと小太郎とじさまだけだった。
わらわは、竹林で羽衣を見つける前と同じ暮らしにもどったと思った。
わらわはてんじゅく国の大殿様を怒らせてしまったから、もう、てんじゅく国にはもどれない。じさまの家で、じさまと小太郎といっしょに年をとっていく。それもいいじゃろう。
小太郎は、
「かっかー、じさまの家にもどった。」
と言って笑った。
じさまも笑った。
わらわも少し笑った。
ただ、心配なのは、わらわは、てんじゅく国から来た身、わらわの寿命はどうなるのだろうということじゃ。
じさまはそのうち亡くなるじゃろう。小太郎も年をとったら死んでしまう。
じゃがのう、わらわの寿命は、越後の国でも尽きないものなのか。わらわを
「かっかー、かっかー。」
と呼んでくれる小太郎がいなくなっても、そのあと何千年も、生きていくのか。
この越後の地で、みにくい鬼婆となって生き続けるのじゃろうか。
老いさらばえて、たった一人で生き続ける・・・。
その恐ろしさだけが、わらわに残されるのじゃろうか・・・。
それが、ちと、心配じゃ・・。
その後、この家族がどうなったかといえば、実は、じさまは、てんじゅく国からもどって間もなく亡くなりました。てんじゅくの虫の毒にやられたという説もあり、大水をかぶって風邪をこじらせたという説もあり、また単に寿命だったという説も。そして、かかさと小太郎は、二人でじさまの残した田畑を耕し、仲よく楽しく暮らしたそうです。
それから、小太郎亡き後、残された天人かかさが鬼婆となって何千年も生き続けるかどうかは、まだ歴史がそこまで進んでいないので、誰にもわかりませんね。
おしまい
令和3年睦月 大雪のなかで
作 楯 よう子
切り絵 悠久城絵師 きらら こと 酒井晃
令和からの紙芝居と語り 悠久城風の間
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種本収録 2021年1月16日
「天人女房」
新潟のむかし話2 かわいそうでなみだがでそうな話