悠久城風の間 blog語り部のささやき

悠久城風の間の語り部 楯よう子のささやき

鶴女房、奉仕し続けること?

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昭和39年に童心社から出された紙しばい名作選「つるのおんがえし」では、登場人物は子どものないおじいさんとおばあさん。おじいさんが鶴を助けると、その後、鶴は娘の姿となってやってきた。「どうか、このうちの子にしてください」と言って、おじいさん、おばあさんに仕え、機織りを始める。しかし、おばあさんが機織りの姿を覗いてしまったので、鶴は去っていく・・というお話。

解説では「うけた恩にむくいたつるの真心の美しさと誠実な心をうらぎった人間のかなしさ・・」などと書かれていて、さすがに日本教育学会会長の監修のもとに作られた紙芝居だと思われた。民話を学校で道徳教育に使えるように脚色したものなのだろうか・・

「新潟のむかし話」の佐渡に伝わる民話では、おじいさんも、まして好奇心の強いつれあいのおばあさんも出てはこない。

ここでは貧しい一人暮らしのあんちゃんである。あんちゃんは、矢を射られ傷ついた鶴を介抱してあげた。一晩世話してあげると鶴は元気になって、次の朝、大空に飛び立った。鶴はうれしそうだったし、飛び立つ鶴を見て、あんちゃんもうれしかったと思う。あんちゃんは鶴が飛んでいくのをしばらく見送り、それで充分満足していたと思う。そして鶴を助けたことなど、ほとんど忘れていたのではなかったか。しかし、あんちゃんにとって鶴を介抱することは、一人暮らしの寂しさのつれづれに行ったことで、命がけの大仕事ではなかったが、助けられた方は命を助けられたのである。

こんな状況は若い娘にもありがちかもしれない。娘は、若ければ、また美しければ、それだけ傷つきやすい。傷つくことに敏感かもしれない。傷ついた私を、あのとき私の命を救ってくれた人・・あのときの私をやさしく抱きしめてくれた人・・となると、うぶな娘は、この人に私の一生を捧げなくては・・となるのかもしれない・・。

男にとっては、それほど命をかけて助けたというほどでなくても、若く美しい娘が自分に近づいてくることは悪くはないことだ。

娘はその身を削って、すべてを捧げようとする。男は初めは戸惑うが、悪くはないことを断る理由がない。はじめは申し訳ない気持ちがしていても、それが日常となれば、当たり前となってくる。嫁が身を削っていたとしても、自分に不都合でなければ、痛みを感じたりしないものである。しかし、ある日、男は嫁の体がもうボロボロになってしまっていることに気づく。嫁は、これまで男に捧げつくして、これ以上、自分が男に捧げるものが残っていないことに気づく。男に自分の正体、やせ衰えて、何も男に与えるもののなくなった身体をみられること。自分が男に何も与えられなくなっていることを知られてしまったことに気づく。常に与え続けることで男を喜ばせようとしていた嫁にとって、与えるものがなくなったこと、与えることができなくなっている自分は、男にとって価値のないものであり、去るしか道はないのだろう。

あんちゃんが約束を破って、機場を覗いてしまったのが、いけなかったのか?狭い家で三日三晩もチャンチャン、バタバタとやられたら、「美しい布を糸もなしにどうやって織るのだろう」と不思議に思わない方が変だ。鶴はもう羽を失って赤はだが出ていて、いずれ、この嫁が一方的に捧げ続ける関係が破綻を迎えることは目に見えていたことだったのだ・・。

鶴の恩がえしを人間世界に映し返してみれば、出会いのアンバランスとその後の関係性のアンバランスが際立っているが、たぶん(特に男性には)それなりのロマンを感じさせる物語なのだろうか。男には、自分のものと思っていた美しいものと富とが去っていくことは悲しいが、鶴女房には添い遂げられなかったことが悲しいのだろう。

この昔話から教訓を引き出すとすれば、平等な関係性を育てていくことの大切さ・・かな?

 

 

令和2年弥生 花咲くはずの3月

 

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Works 旅の声 2020年3月14日収録

「鶴の恩がえし」新潟のむかし話 

かわいそうで涙がでそうな話 新潟県学校図書館協議会編

https://www.youtube.com/watch?v=S5LFWZFGg_U