新潟のむかし話2の「山賊の弟」
この作品が心を打つのは、山賊の涙が清らかだからだろう。
恐ろしい姿となっている山賊と、まじめに勤めを続けていた弟との偶然の出会い。
山賊は弟とは知らないで、弟の有り金全部を巻き上げた。その時弟に与えたさびた刀は、実は政宗の名刀だった。町の道具屋で高く売れた。弟は、このお金は山賊からもらった刀のお金だからと、
おれの取られた分は、ふところにしまって、あまりの分は返しましょ。
と思いながら、また山賊の家を訪れたのだ。
「なんとまあ、おめえは、正直もんなんだ。おめえみたいな、心のきれいなもんは、初めてだ。おめえの名は何というんだ。くにはどこだっちゃ。」
そして、弟の話から二人が実の兄弟であることがわかった。
涙の対面である。山賊の兄の心を揺り動かしたのは、正直者の弟のきれいな心であったようである。弟が刀を売ったお金のあまりの分を山賊に返しに行かなかったら、兄弟としての対面はかなわぬものであったわけだ。
”鬼の目からも、なみだ”でのう、こわい山賊の顔だった兄の顔が、今は子どものころと同じような、やさしい顔になっていた。
山賊というのは、弱い旅人から金品を巻き上げたり、時には人殺しをしたりする極悪人だと思っていた。この山賊にしても、人殺しの場面こそ描かれていないが、お花さんの髪をひっぱって引きづりまわしたりするDV男であった。
しかし、弟との再会。弟のきれいな心が山賊に涙を流させた。山賊の顔に涙が流れると、山賊のこわい顔は子どものころと同じようなやさしい顔になった。
そして、
「はあ、申し訳ねえ、おめえに、苦労ばっかかけて。その上、世間にも、悪いことばっかりしてきた。申し訳ねえ、申し訳ねえ。」
と謝るのである。
山賊の後悔と懺悔。
「よう生きていてくれたっちゃ。兄やんっ。」
弟は少しも兄を責めない。兄が生きていてくれたことを、ただ素直に喜んでいた。
その弟のきれいな心が山賊の懺悔を導いている。
謝る山賊の言葉を聞いていると、わたしは、この山賊は本当に悪人だったのかと思ってしまう。
15・6歳のころ、家を飛び出した兄。兄はらんぼう者で弟は心のやさしい働き者として語られているが、兄は初めから山賊になるつもりで、家を出たのではなかっただろう。少しの田と畑では食べていけないから、町へ出て仕事を探したかったのだろうと思う。金を稼いで、古里の父母の元に持ち帰りたかったのでは?それなら弟と同じじゃないか。ただ、兄は腕力があったために、直接腕力を振るって金品を得ることを、生業にしてしまったのでは?
山賊の後悔・・
暴力はいけないが、生きることに必死であったことは、兄も弟もいっしょだった。
弟のきれいな心は、わたしたちの心を打ち、必死に生きようとした兄も許そうとさせるようだ。
令和2年葉月 照りつける真夏の日差しの中で
絵 悠久城絵師 きらら こと 酒井晃
悠久城風の間 http://yuukyuujyou.starfree.jp/
Works 旅の声 2020年 8月 10日収録
新潟のむかし話2「山賊の弟」
心をうたれてじーんとする話