悠久城風の間 blog語り部のささやき

悠久城風の間の語り部 楯よう子のささやき

「ごんになる」

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「ごんぎつね」は、昔、小学校の体育館で行われたおやこ劇場で、人形劇として見たことがある。ひなたの匂いのする子どもらと体育館の床に並んで座る。わくわく感。

その頃は、近所の子どもたちやそのお母さんたちと過ごすひと時が楽しかったのだと思う。

「今度のはごんぎつねだよ」と世話役のお母さんが意気込んでいたと思う。しかし悲しいラストシーン。わたしは子供向けのお話は、ハッピーエンドにしてもらいたいという気持ちがあるようで、最後にごんが鉄砲で撃たれるのは子どもたちに申し訳ない気がする・・・というのは、今考えていることで、その人形劇を見たときに、わたしがどう感じたかは覚えていない。お母さんたちは心を動かされ、子どもたちはそれほどでもないが、ぽかんと口を開けて見ていたのではないか。

その中でわたしも感動したのだと思う。なぜならそのとき、「ごんぎつね」の絵本を買っていたのだから。そんなに読み聞かせで使うことなく、絵本はその後、何十年か本棚の中でただ眠り続けた。わたしの蔵書は多くないのに、「ごんぎつね」は多分そのおやこ劇場のときに買った「ガイ氏即興人形劇場上演台本よりえほんごんぎつね」という本とそれから講談社のおはなし童話館第18巻の中にも収められていた。

時がたって、紙芝居で「ごんぎつね」を行った。

場所も変わって、おやこ劇場ではなく、ケアハウスの中の紙芝居劇場である。

みんなが知っているお話(小学校の教科書にものっているという)。悲しい結末に涙する人がいる。わたしたちは悲しいお話が好きなようだ。わたしは紙芝居の「ごんぎつね」をやってみて、そういえばこれはいつか、人形劇で見たことがあると思い出したのだった。その頃の若い母親だったわたしを思い出した。

さらに、今回改めて原作「ごん狐」の朗読を行ってみて、若い母親だったわたしがどんなだったか、あの頃の子どもがどんなふうに感じていたかとか、考える。そして「ごんぎつね」を子どもに読み聞かせていた世間の母親たちの多くは、いつしか聞かせる側から、朗読を聞く側に、ケアハウスなどで紙芝居を見る側になっていくのだろう。ぽかんと口を開けて聞いていた子どもたちは、いずれ自分の子どもに本を読んであげたり、また年老いた親世代に対して、読んだり演じたりする側になるのだろう・・と思ったりする。

時はめぐり、名作は生き続ける。

くり返し「ごん狐」を読んでいくと、わたし自身はもうずっとずっと昔から、自分が子ぎつねのごんだった気がしてきて、とうとう本当にごんになっていく。

令和元年霜月の末 ぱらぱらとあられの降る日 

 

悠久城風の間   http://yuukyuujyou.starfree.jp/

Works 旅の声  2019年11月30日収録  

       日本の名作「ごん狐」新美南吉

        https://youtu.be/itokGbnUmwo