悠久城風の間 blog語り部のささやき

悠久城風の間の語り部 楯よう子のささやき

「灰色の海をカンバスに」

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「赤い蝋燭と人魚」は人魚というから、ロマンチックなお話しだと思ってしまう。

しかし、恐ろしい結末が待っていた。

子どもを人間世界に産み落して、幸せにしてあげられなかった母人魚の呪いが、人々の命を海に呑み込ませ、海岸の町を滅ぼさせてしまったのか・・・。

 

わたしはあの海を思い出す。

灰色の空の下で、うねり続ける波、波、波。

その海は青くはなかった。ほとんど灰色だった。波は打ち返し、国道も洗っていた。

わたしがその町に住み始めて間もなく、暑くなり始めた頃、地元の青年が泳ぎに出て波に命をさらわれた。海辺は遠浅ではなく、砂浜ではなく、ゴロゴロした石ばかりの海の底はすぐに深くなっていた。

海は無機的で非情で、何も語らなかった。わたしは、その海の圧倒的な力の大きさを怖いと思っただろう。特に冬は、強い風が吹いた。雪が降って車を出せなくなると、わたしは老婆のように腰を直角にかがめて海沿いの道を歩いた。

海を前に、わたしたちはこのうえなく小さくはかない。海は荒れ狂うときもあれば、穏やかに月の光に照らされて美しいときもあっただろうが、わたしはそこでは、自分がただ生きていくことがせいいっぱいで、何も考えられなかった気がする。

わたしよりももっと、前にその地方に住んでいた小川未明は、私が見た海と同じ海を見ていたのではないか。海辺の暮らしはもっと厳しかったかもしれない。しかし小川未明は、海を見ながら無力感にひたっていたのではなかった。人魚の物語を紡ぎ出していた。人間と人間でないものの世界を。人間でない母人魚が人間を呪ったにしても、それは生きているもののありようである。決して海辺の石ころではない。

あの無彩色の無機的な海をカンバスとして、小川未明が生きているものの姿を描き出そうとしたことに対して、わたしは、ひそかに感謝に似た気持ちを抱く。

わたしは、せいぜいこの物語を語り続けたいと思う。

 

令和元年 嵐の大晦日 

悠久城風の間   http://yuukyuujyou.starfree.jp/

Works 旅の声  2019年12月8日収録 

日本の名作「赤い蝋燭と人魚」小川未明

https://www.youtube.com/watch?v=64Q2SgCDM2o&t=237s