あなたは、おはぎ好き?わたしは大好き。三つも四つも食べられるわ。そんなに食べて大丈夫?って、あなたは思うのね。大丈夫。食べたいだけ食べましょう。食べたいときに食べたいだけ食べるのが、しあわせ。遠慮したり、気取ったりは、なしよ。
昔は、らくらく、おはぎも食べられなかった、かわいそうで涙が出そうな、こんなお話もあったわ。知っている?
弟に食べさせなかったら、かびが生えてしまったおはぎ。捨てに行った嫁は、池に吸い込まれて大蛇になってしまった。赤子もいるのに、どうしよう?どうやって赤子に乳をやったらいいのだろう?大蛇の目、蛇の目を売って乳を買ってくれと夫に頼んだ。自分の身体を削って自分の視力を失っても、子を養おうとする母のあわれ・・子どもの姿を見ることができなくても、朝晩の鐘の音が目のない母を慰めてくれるだろうか?
この新潟のむかし話2「大蛇の目」を読んだ人々は、みな、口々に言うのだった。
「おじに、おはぎをやらなかったからって、それでばちが当たって大蛇にされて、目もなくなって、なんて、ひどすぎない?」
「そうね。『おらがみんな悪かったんだ』なんて、あねさも自分を責めすぎじゃないの?今、あねさはどう思っているのかしら。」
そこで、私は、池の大蛇に取材を試みた。以下は、大蛇になったあねさの陳述である。
おらは、池の大蛇じゃ。
池の底で静かに暮らしておるのじゃ。朝に、晩に、お寺の鐘の音が聞こえる。いーい音じゃ。その鐘の音を聞くだけで、おらは、いいのじゃ。あとは、なんにもいらん。
おらも、昔は、村に住んでおったなあ。
嫁に行って赤ん坊が生まれた。赤子が生まれると、よーけ腹が減るもんじゃ。うちは貧乏百姓だすけ、ふだんは腹いっぱいご飯も食べられなんだ。赤子はぴーぴー泣くで、乳が足りなかろうと思うが、おらだけ、ご飯をお代わりするわけにもいかんでのう。嫁は、遠慮せねばならん。
だども祭りの日は楽しみじゃった。その日ばかりは、ごっつおーするでのう。
あの日も、秋の刈り入れが終わって、十三夜のおはぎを作った。
おらはおはぎが大好物じゃ。おはぎが好きでないもんなど、この村にはおらんわ。前の晩からあずきをひやかして、あんこを作った。もち米を蒸かした。その年は豊作じゃった。きれいな米粒じゃあ。あんこともち米の蒸けるいいにおいがした。そして、うんまいおはぎができた。うふふ。
おはぎをお供えして、みなでお月見をした。じじさとばばさにおはぎを食べさせた。あんにゃさに食べさせ、おらも食べた。
その晩のお月さまは、それはそれは、きれいじゃった。十三夜のいい月じゃったなあ。
遅くなってから、だんなさまのとこへ奉公に出ているおじが帰って来た。
おらは、おじにもおはぎを食べさせようと、縁側にお供えしてたおはぎを取りに行った。そして、ふと見ると、おはぎがお鉢の中から動き出したのじゃ。十三夜の、月の光の中をおはぎが縁側に並んだ。ん?ん?ん?
「はて? ふしぎじゃ。おはぎに足が生えたかな?」
おらは近づいて見た。おはぎの足だと思ったのは、カエルのフッケロどん(*新潟のむかし話2「兎とフッケロのとびっくら」参照)フッケロどんの足じゃった。
フッケロどんはおはぎを担いで飛んだ。それから、フッケロどんの子どもらだろう。子ガエルもそれぞれ、おはぎを担ぎ、フッケロどんの後に続いて飛んだ。お鉢の中のおはぎは空になった。おはぎは行列して、バッタラコーン、バッタラコーンと飛んだ。
「待てー、待てー。どこにいくんだー。おらんちのおはぎだ。おらんちが食べるおはぎだねか。」
この村のもんはみーんなおはぎが好きで、カエルのフッケロどんもおはぎが好きだとは聞いていた。じゃがのう、これは、おらんちのおはぎだねか。フッケロどんもおはぎが好きなら、自分ちで作ればいいねか。
フッケロどんとその子どもガエルたちは、バッタラコーン、バッタラコーンと飛んだ。
その背中で、おはぎはゆっさゆっさと揺れた。
「おらんちのおはぎ、待てー。」
おらは、空のお鉢を持って、追いかけた。
池まで来て、フッケロどんはおはぎを担いだまま、ドボボンと池に飛び込んだ。子どもガエルもおはぎを担いで、ドボボンと続いた。
「そのおはぎ、待てー。おらんちが食べるおはぎだー。」
おらは走った。おはぎをフッケロ親子にとられてはと、必死だった。おらは、やっと追いついた。一番後ろの子ガエルからおはぎを一つ奪い返して、自分の口に入れた。
「ごくん。う、う、苦しい。」
あせって食べようとして、のどに詰まらせた。
「く、く、く、苦しい。」
ゴボゴボ、ゴボゴボと、のたうち回った。
「助けてー。苦しい。」
おらは、もがいた。ゴボゴボ、ゴボゴボ。
「苦しいー。死にそうだ。」
ゴボゴボ、ゴボゴボ・・・・。
そうして、しばらくすると、ふっと楽になった。あたりを見ると、そこはなんと池の底じゃった。おらはもう苦しくなかった。ただ、気がつくと、おらは大蛇の姿になっていた。
水面を見上げると、フッケロどんと子どもカエルがスイスイ泳いでいた。
フッケロどんは、子どもがいっぱいいるんじゃなあ。
「おーい、フッケロどん。」
おらはフッケロどんを呼んでみた。
「大蛇どん、おはぎはうんまかったか?ゲロゲロ」
フッケロどんは、のんびりとしていた。
「フッケロどんもおはぎを食ったか?」
おらも、きいてみた。
「おお、冬眠に備えて、腹いっぱい食った、食った。子どもガエルも腹いっぱい食った、食った。ゲロゲロ」
遠くで声がした。
「あねさー、あねさー。どこにいるんだー。」
あんにゃさが呼んでいた。
おらは、池から顔を出した。あんにゃさは空のお鉢を持って、池のふちに立っていた。おらが大蛇の姿になっていたので、あんにゃさは、たまげた。
「あねさー、どうしたんじゃ。」
あんにゃさは、泣き顔で言った。
「早うもとのからだになって、赤子に乳やってくれ。」
おらは、
「あい。」
と答えたけれど、どうあがいても、大蛇の皮は脱げなんだ。もとの嫁の姿に戻れんかった。乳を出そうとしたけんど、乳は出ん。大蛇には乳を出す両方の乳首もなかったんじゃ。
おらは、
「乳は出さんねなった。かわりに、これで乳を買うてくれ。」
と言って、乳のかわりに両方の目玉を抜いて、あんにゃさの持つお鉢に入れた。
「あねさ、どうして大蛇になったんだ。」
と、あんにゃさはおらに聞くども、おらもどうして大蛇になったか、わからんかった。
おらは、フッケロどんにきいてみた。
「あのなあ、おれが池に飛び込んだら、池の主の大蛇どんが大口を開けていたんじゃ。大蛇どんはおはぎが大好物じゃ。そいで、おれはおはぎごと、大蛇どんに呑み込まれてしもたんじゃ。おれの子どもガエルも呑み込まれた。それから、追いかけてきたあねさ、おめさんも呑み込まれたんじゃ。じゃが、あねさが大蛇どんの腹の中で暴れたんで、おかげで、おれたちは大蛇どんの口から吐き出された。そして、あねさ、おめさんが大蛇になっていたんじゃ。」
「ふーん。池の主の大蛇に呑み込まれて、おらがその大蛇になったのか・・・。」
フッケロどんは、また言うた。
「池の主の大蛇どんは、もう年とっておったからな。あねさが池の主の大蛇になったのじゃ。」
「おらが池の主の大蛇になった?」
おらは新しいぴったりした着物を着たようじゃった。大蛇の皮は、ぴったりし過ぎて、もう脱げないのじゃった。おらは大蛇のからだになったのじゃ。おらが池の主の大蛇になるとはのう・・・。
じゃがのう、おらのからだは大蛇のからだになってしもて、おっぱいはないのじゃ。それでもう、赤子に乳は出せなくなったのじゃ。
あんにゃさは、市に行って、大蛇の目、蛇の目を高く売ったそうじゃ。あんにゃさはその金で赤子の乳を買った。それから余った金で、お寺に鐘を寄進したそうな。
おらはもう目が見えぬから、いっつも池の底におる。朝晩の鐘の音が聞こえると、おらは、赤子が元気に育っていることがわかる。それでおらは満足じゃ。おらは、もう、おはぎを食べなくともよいのじゃ。
それからというもの、大蛇は、池の底で子どもらの成長を祈り続けたという。その村では、どの子もよく育ったそうな。あねさの赤子もじょうぶに育って、やがて僧となり、村の寺で、朝晩の鐘つきを続けておるということだ。
おしまい
令和3年睦月 寒波のなかで
作 楯 よう子
切り絵 悠久城絵師 きらら こと 酒井晃
種本 「大蛇の目」
新潟のむかし話2 かわいそうでなみだがでそうな話
朗読動画https://www.youtube.com/watch?v=kgjni8Zluho&t=1s
(*)新潟のむかし話2「兎とフッケロのとびっくら」では、
兎とフッケロ(カエル)は、餅やぼた餅を作ってそれを転がり落とし、
早く拾った者が全部食べられるという賭けをした。
令和からの紙芝居と語り 悠久城風の間
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