新潟のむかし話「団子ころころ」は典型的な勧善懲悪のお話である。
貧乏だけど正直な稼ぎ手のじさとばさのところには富が転がり込み、隣の欲張りばさと怠け者じさにはそれぞれ、大けががもたらされる。
この両者を比べてみると、まず団子作りである。いいばさは、粉をよくこねてあんこをたっぷり入れるのである。粉をこねるのには力がいり、時間をかけないと滑らかな舌触りにならないのだ。あんこをたっぷり入れてというところには、団子への愛とじさへの愛があふれているではないか。一方、欲張りばさは、金もうけが目的であり、手間ひまかけて粉をこねることなどしない。黒米を臼でひき、見かけだけでいいと思っているから、しょっぱいあんこを入れるのである。二人のじさを比べると、正直・稼ぎ手じさは、毎日朝から山に芝刈りに行き、ひと仕事終えて昼時になってから団子を取り出すのである。一方、怠け者じさは、欲張りばさに言われて嫌々山に行き、仕事もろくにしないで昼前に団子を食べようとした。団子は、正直・稼ぎ手じさのところでは、じさが団子を食べ始めたら、そのうちのひとつがころころと転がり出すのである。穴に転がり込むと、穴の中にいた地蔵様がこれはうまそうだと食べてしまう。それに対し、怠け者じさでは、団子は自然に自分で転がってはいかない。怠け者じさが無理やり穴につっこんだ。そしてまずそうだからと食べないでいた地蔵様の口に無理やり放り込むのであった。
正直・稼ぎ手じさのつれあいばさが言ったように、毎日毎日一生懸命働いているといいことが起こるのだった。このばさは一生懸命団子を作り、それを持ってじさは山に行ってこれまた一生懸命働く。団子を転がそうとして落としたのではない。団子は自然にころころと転がり、そして富へと導いた。
なるほどと素直にわたしは思う。欲を張って生きるのではなく、目の前の仕事を誠実に骨惜しみせずにやること。それがおのずと幸せにつながるのだろうと。
また、しかし、思う。ところでわたしたちの社会の営みは、人の富を羨み、人に負けてはならじと必死になり、楽に金を得ようとばかりして動いているのではないか。素材を丁寧に扱わない、できるだけ手を抜き、見せかけだけのまずい団子を作ってよしとする。無理にでも穴に押し込める。嫌がっても無理やり口に放り込む。目先の金だけが欲しいので、待ってなんかいられない・・・。
このありさまを見て、今、鬼どもが暴れ始めているのか?そして、もう、けが人が出てきている・・・
実際には、わたしたちの社会は、正直・稼ぎ手じさばさが作り上げたよきものと、欲張り・怠け者ばさじさの邪心とが、混じりあって構成されていて、話は単純ではないのだが。
赤、青、黒、黄色、ぶちの鬼どもよ。なんとか夜明け前までに、行き過ぎた欲望を持つ者に対してだけ、うまく暴れて成敗してもらいたいと思う今日この頃ではある。
令和2年弥生 夜が明けると4月
令和からの紙芝居と語り 悠久城風の間ホームぺージ
http://yuukyuujyou.starfree.jp/
Works 旅の声 2020年3月15日収録
「団子ころころ」新潟のむかし話