悠久城風の間 blog語り部のささやき

悠久城風の間の語り部 楯よう子のささやき

末娘の作戦

新潟のむかし話2「猿むこさ」の末娘には感心させられる。 田なぼに水をかけてもらったから、じさまは娘を猿の嫁にやらなければならなくなった。 一番上の姉娘、2番目の娘が猿の嫁になるのは嫌だと断ると、あとは末娘。 末娘は 「じさま、心配するな。おら…

宝の小槌

福の神の持ち物である、打ち出の小槌。願い事をしてこれを振ると、金銀財宝や思い通りの物が出て、長者になったり、一寸法師の背が伸びたりするのである。 だから打ち出の小槌は、富の象徴であり、福を招く宝物である。 新潟のむかし話2「犬と猫と宝槌」の…

いつまでも花倉に?

嵐にあって木のほら穴に逃げ込んだ木こりは、眠り込んでしまって、夢を見たのだろう。 夢を見ている時は、自分が夢をみているのかどうかわからない。 常日頃かわいい娘と出会えないものかと思っていたから、かわいい娘が現れる。かわいい娘を嫁にできないか…

ありがたやネズミ経

突然、つれあいに先立たれたばばさの家に、一夜の宿を乞うた、旅のもん。 汚れたなりに警戒心を持つばばさに、「旅の僧だ」と言って安心させた。 翌朝、ばばさはさっそく、「じじさにお経をあげて」と頼んだが、にせ坊さまは、困ってしまう。するとそこに、…

化け猫の生成

おら、生まれた時から、与作んち、ねぐらにしているにぁ、にぁ。子猫ん時、ネズミ、怖かったにぁ。ネズミ走るの速えかったども、だんだんネズミ追っかけて、おらもネズミくわえられるようになったにぁ、にぁ。捕ったネズミ、見せると、ばあさん、喜んだにぁ…

不如帰/そうだ原点に帰ろう

民話「ホトトギスと兄弟」この話も各地に伝えられている。 弟がうまいものを食べていると邪推した兄が、弟を殺して弟の腹の中を見るというのもあるが、新潟のむかし話では、子供たちに読ませるのに、兄が弟を殺すのではあんまりだからと、弟が自ら腹を裂いた…

お三はただの飯炊き女ではなさそう

佐渡はたくさんの物語を秘めている土地だろう。 新潟のむかし話でも「団三郎ムジナとお三キツネの化け比べ」 団三郎はムジナながら、堂々としていて歌舞伎役者のようないい男の雰囲気がする一方、お三はその名のとおり三度の飯炊き女風?蓮っ葉なふうがただ…

海辺の松は何を見る?

新潟のむかし話「人魚の松」では、島の娘お弁が夜ごと、佐渡からタライ船に乗って番神岬を目指し、宗吉の元に通うのだった。宗吉は断っても断っても、また次の晩にはタライ船でやってくるお弁の一念がおそろしくなって、番神さんの御燈明を消してしまう。そ…

今こそ、よだれ力・はなたれ力

新潟のむかし話「はなたれ小僧」の教訓を考えてみよう。 正直貧乏じいさは、乙姫さまからちんこい男の子をもらって来て、年とりの米だの、塩鮭だの、餅だの、着物だのを出してもらった。それからだんだん欲出して、大きい、いい家、田んぼも畑も、米を入れる…

都会のトイレに三枚のお札はあるか?

「三枚のお札」は、おなじみの昔話。全国各地に伝えられているだろう。 昭和60年童心社から出された紙芝居「たべられたやまんば」 作:松谷みよ子 画:二俣英五郎 では、やまんばは和尚にそそのかされて豆に化け、結局、和尚に食べられ、成敗された。 昭和62…

転がる団子 押し込む団子

新潟のむかし話「団子ころころ」は典型的な勧善懲悪のお話である。 貧乏だけど正直な稼ぎ手のじさとばさのところには富が転がり込み、隣の欲張りばさと怠け者じさにはそれぞれ、大けががもたらされる。 この両者を比べてみると、まず団子作りである。いいば…

伝わらない意味 つながらない人

新潟のむかし話の「旅学問」を読んだ。遊び人のあんにゃを旅に出したばさの方針も、体験から学ぼうとするあんにゃの姿勢も、とてもよいと思った。しかし、あんにゃは旅でおぼえてきた言葉を使おうとしたが、肝心な時に、相手には伝わらないのだった。これを…

食い意地の攻防

新潟のむかし話の「ふうふうとんとんいいかん」を読んで楽しくなってしまうのは、なんといっても、和尚さんと小僧さんの食い意地のすごさだ。 和尚さんは甘いものが大好き。小僧が好きなのも知っているが、だからこそ、独り占めして一人でこっそり食べたい。…

鶴女房、奉仕し続けること?

昭和39年に童心社から出された紙しばい名作選「つるのおんがえし」では、登場人物は子どものないおじいさんとおばあさん。おじいさんが鶴を助けると、その後、鶴は娘の姿となってやってきた。「どうか、このうちの子にしてください」と言って、おじいさん、…

山の神の仕事は世の資源の平準化?

例えば試験に落ちたときなどに、「実力でしょ」といわれるよりも「運がなかったね」 といわれる方が、優しい慰めの言葉である。 いわれる方も、自分でも9割方、実力が足りなかったと思っていても、「ああ」とか答えてあえて否定はしない。 実力は自分の努力…

鬼婆はきれいな女になりたがる?

このところの新型コロナで巷は姦しい。 新潟のむかし話の「食わず嫁さ」の鬼婆の住む山の岩穴は、そんなニュースが伝わるはずもなく、静かである。しかし、静か過ぎるのである。落ち武者はおろか、旅行者が迷いこんでくることが全くなくなってしもうたんだと…

鳥のみじさまのはらの歌声のように?

いうまでもないが、「鳥のみ」は、「鳥の身」でも「鳥の実」でもなく、「鳥飲み」または「鳥呑み」である。 うっかり鳥を飲みこんでしまったじさまの話。 ちっちゃこい畑を一生懸命、耕していた働きもんのじさま。このつつましさだけでも、わたしはこのじさ…

放屁力と嫁への敬意

新潟のむかし話の「屁っこき嫁さ」は、確かにおかしくておなかをかかえてしまう話である。わたしもしばし、おなかのけいれんが続いたため、読み進められなくなってしまったのだ。老若男女に下ネタは受ける。自分の下ネタへの反応が恥ずかしくて、わたしは笑…

「木のまたvs.楢山」

新潟のむかし話の「木のまた年」を読んで、ぎょっとするのは、木のまた年の定めでは61歳になったら山に捨てられるということである。 61歳? 当市では65歳になると高齢者と名付けられ、市から介護保険証なるものが送られてくる。しかし大抵の人は、高齢者と…

「ばばになったら、ばば皮を脱げ」

わたしが新潟のむかし話の「ばば皮」を気に入ってしまったのも無理もないことだ。 むかし話の娘は、ばば皮を着て山賊をやり過すなどして生き抜き、チャンスが来ると、ばば皮をクルッと脱いで幸せをつかんだのだから。ここには娘のひとつの正しい生き方が示さ…

「いとーしげだ・・」

わたしが「ばば皮」を気に入ってしまったのは無理もないことだ。 わたしの好きな言葉が出てくるからだ。 「いとーしげだ・・」この言葉を耳にしなくなってどのくらいたつのだろう。 わたしの祖母はわたしが小さいときに、わたしによくそう言ってくれていたの…

メロスは閉架式にいた

わたしは常々、面白い紙芝居を求めて図書館をうろついたりしているのだ。 だから、ネット上で紙芝居「走れメロス」の存在を知ったとき、意外に思ったのだった。 なんだ、「走れメロス」の紙芝居があったの。なぜ、わたしの眼にとまらなかったのかしらと。 図…

「灰色の海をカンバスに」

「赤い蝋燭と人魚」は人魚というから、ロマンチックなお話しだと思ってしまう。 しかし、恐ろしい結末が待っていた。 子どもを人間世界に産み落して、幸せにしてあげられなかった母人魚の呪いが、人々の命を海に呑み込ませ、海岸の町を滅ぼさせてしまったの…

「ごんになる」

「ごんぎつね」は、昔、小学校の体育館で行われたおやこ劇場で、人形劇として見たことがある。ひなたの匂いのする子どもらと体育館の床に並んで座る。わくわく感。 その頃は、近所の子どもたちやそのお母さんたちと過ごすひと時が楽しかったのだと思う。 「…

「声出し」

「駆け込み訴え」をいきなり声を出して読んでみた。意外に滑らかに読める。それもそうだ。太宰が大変な勢いで、妻に口述筆記させたものだというし、何しろ駆け込み訴えなのであるから、もともと滑らかな話ことばでできている。「全文、蚕が糸を吐くように口…

「野生のような生きる勇気」

「羅生門」が国語の教科書の定番だと聞いて、わたしは驚いたのだった。当然、高校だと思ったら、中学校だったという人も複数いて、「私、好きでした」と若い女性が言うのを聞くと、なんとなく戸惑ってしまう。明るく清潔な教室。きちんと並べられた机と椅子…

「いるか」

悠久城風の間の扉を開くと、飛び込んでくるのがこの言葉だ。「いるか・・いないか・・・・ゆめみているか」谷川俊太郎のことばあそびから、何とわたしに書を書いてくれる人がいた。わたしには全く思いがけない事だった。ある紙芝居劇場で、参加者みなと谷川…

「その場に身を置くこと」

たとえば、バイオリンの演奏が心躍らせる時、もちろん、その曲の美しさと演奏の巧みさがあるのだが、演奏するバイオリニストをうっとりと眺めているような気がする。感動させることに、バイオリニストの肢体と顔とその動きという視覚からの情報がどのくらい…

「顔出し」

「知り合いの10人が10人とも、顔は出さない方がいいといったよ」 と、鋭い目つきを投げてよこすS氏。 「若くなくて美人でないだろう。おばあさん、見たら、みんなすぐ消すよ」 「花とかのほうがまし。今度やるときは顔は出さないこと」 全く、容赦がない。 …